第20回日本音楽療法学会学術大会 講習会要旨

被災地と音楽療法の九年

台風や地震など、毎年のように自然災害が起こる日本において、発生から九年が超過した東日本大震災の記憶は全国的に着実に風化しつつある。最初の数年間、良く言われた「いつまで(活動)やるの」という質問もされなくなって久しい。今年(2020年)に入り新型ウイルスによる世界的脅威により、風化はさらに拍車がかかるであろう。岩手県においても、畳み掛けるように襲来する複合災害(台風10号、台風19号)によって人々は経済的・精神的疲弊を極めている。

瓦礫の町から巨大なコンクリート建築の町へと変貌を遂げた三陸の物々しい光景と相反して、人口は減少、産業の衰退と若い世代の流出により、いやおうなく高齢化と過疎化が進行している。被災者は災害直後の避難所(最大399箇所)から同年春から秋にかけて設営された応急仮設住宅(5万3537戸)、そして災害公営住宅(2万9573戸)と転居を重ね、度重なる住環境の変化による心身の影響は、特に災害弱者と呼ばれる高齢者や障害者に顕著であった。被災三県(岩手・宮城・福島)の震災関連死者数は千五百人、公営住宅で孤独死した人は2019年まで242人(70代以上が63%)にものぼる。

震災以来、マスコミや為政者が口々に叫んだ「心の復興」「心のケア」は一体何だったのか。かつて被災地で音楽療法講習会の講師として来た今大会の齋藤大会長から「心が復興なんてするのか」と問いかけられてから考え続けている。地元新聞社が2019年に行った遺族アンケートでは「悲しみを打ち明けられる人がいない」「孤立を感じる」「悲しみによる心身の変化を感じる」といった回答がよせられた。長い時間は悲嘆や喪失感を消し去る力にはならず、復興は災害が起こる前の状態に戻ることを意味しない。別の形の幸せや希望を見つけて再び前を向くために必要だったのは、その人が元来持つ回復力と、周囲のあたたかい支えであった。孤立しがちな人を安全に迎え入れ、穏やかに心が交われる場の創出が、被災地支援においては重要であった。

筆者は音楽療法士として被災地に通い続け、仮設の集会所や談話室で「歌と体操のサロン」と称した活動を行ってきた。場に訪れた人の自己開示を辛抱強く待ちながら、表現に耳を傾けること。被災地だから、と特別な活動を持ち込まず、相手の一切を侵襲しない場を作り上げること。被災した当事者の体験や心情を共有していない事実を謙虚に受け止めること。

媒介として用いたのが、その人の思い出がつまった音楽だった。九年間の活動について報告を行う。

プロフィール

<職・氏名>
一般社団法人東北音楽療法推進プロジェクト代表理事
日本音楽療法学会認定音楽療法士
智田 邦徳(ちだ くにのり)
<出身地>
秋田県湯沢市
<略 歴>
日本大学藝術学部音楽学科声楽コース卒業後、岩手晴和病院(現・未来の風せいわ病院)にて音楽療法を開始。これまで知的障害者入所施設、福祉作業所、特別養護老人ホーム、老人保健施設、子育て支援センターなどの音楽療法指導を行う。
日本音楽療法学会理事、日本音楽療法学会東北支部長など歴任。
2013年、一般社団法人東北音楽療法推進プロジェクトを創設。
毎週末は宮古市や大槌町の仮設住宅を巡回して音楽療法による被災者支援を継続して行なっている。
岩手県立二戸高等看護学院の非常勤講師
日本音楽療法学会理事、評議員、東北支部長ならびに災害対策特別委員会委員長を歴任。

共著「音楽療法・レッスン・授業のためのセッションネタ帳~職人たちのおくりもの」(音楽之友社)「音楽療法を知る―その理論と技法」(杏林書院)「心ふれあうセッションネタ帳for Kids」(音楽之友社)